それはSORAMIMI

精神世界を旅しながら感じたこと考えたことを綴るスピリチュアル日記。

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SORAMIMIさん、さようならです。

いつの間にかブログが「公開」になっていましたね(ノω`*)ノ

こんにちは。
お久しぶりです、SAKIです。

何年も放置したままで、
ブログさんにごめんなさいですね。

このブログ『それはSORAMIMI』はこれで終了します。

このブログを更新していた時代には、本当にいろんなことを学びました。
無知なまま霊性開花に飛び込んだので、いろんなことが初体験でした。
スピ本を読んだりしないので、ひとりでよくここまで探求したなと、ちょっと自分を褒めてあげたいです(笑)
これを書いていいのかと悩んだり、結局書けずじまいで終わったこと…今思えば微笑ましいです。


世界は不思議。
上も下も、良いも悪いも、正しいも間違いもない。
本当は時間さえ、あって無いようなものかもしれません。
だったら、どこに掴まっていたら安心かしら。
私が私であるために、なにが大切なのかしら。

私は現在も新しい学びの中にいます。
新しい目線で、あの頃よりも経験を重ねた心で、
世界をゆる~く見つめています。

またどこかで、うっかり私を見つけたら、
温かい目で見守ってやってくださいね。

未熟な心のつぶやきを見守って下さって、
本当にありがとうございました+゚。*(*´∀`*)*。゚+


(ブログはもう少しだけこのままにしておきます)


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シンクロニティー・ハーモニー

この半年はシンクロの連続でした。
何も見えずもがいているようでいても、偶然のようにしてそれは現れたり、起こったり。
次へ…さあその次へ…!と自分を導いていくのでした。


シンクロニティってなんなんでしょうね?


最初はそのことに意味があるだなんて思いもしませんでした。
せいぜい偶然の一致に「シンクロした!」と驚く、その程度の認識しかありません。
けれどシンクロニティ、「共時性」と言うのは現象界での気付き以上に実は根が深く、大きな意味があるものだと思います。

私が今回感じたことを書いてみます。

私の場合、この大きなシンクロニティの螺旋階段を登ることになった発端は、紛れもなく階段から落ちて病院送りになったあの日でした。
あの日から私は目が覚める思いで意識のベクトルを確かにそれまでとは逆の方向に回転させたのです。
これからどうすればいいのか、具体的には何を始めたらいいのか、そんなことは分かりません。だからこそ今できることはことは意識を変えること。自分が何者であるかという自覚を持つことだけでした。

それは、無意識にもアファーメーション(宣言)をしたということでしょう。
「私はいつかこうなりたい」ではなく、「私はこういうものだ」と現在進行形で自分に言い聞かせたということです。そして本当にそうなんだと思い込んだということです。

そしたらもう、そこからひとつのハーモニーを奏でるようにして全てが始まったというわけです。
螺旋を描きながら上昇し、少しづつ中心へ向かっていくかのように。


シンクロニティというのは本当におもしろいものです。


長期で広範囲なシンクロ二ティが起こるというのは、潜在意識が大きなテーマに取り組んでいるときだと思えてなりません。
それこそ夢の側で、頻繁に確認とプログラミング(修正・書換え)がなされているのでしょう。
だから現象界で正常に稼働するかを次々に試したいんです。
微細な書換えだろうがver1→ver1.1へのわずかなバージョンアップだろうが現象界に映し出しては顕在意識レベルで気付いて欲しい。実践して欲しい。
それが新しいプログラムの定着を意味し、リリースの条件になるからです。成功か、再履修かを確かめ、そして再び夢の側で見直して修正・書換えを行う。
「あ、そうか!」と腑に落ちたり、「意味がわかった!」と感動するのは、潜在意識(夢の側)の自分がガッツポーズを取っている時なのかもしれません。


シンクロ二ティが起こるとき。
しかも長期にわたり続くときは、それが良いことでも悪いことでも潜在意識(本当の自分)と顕在意識の共同作業がとても上手く行っている証拠です。

最初はシンクロした意味が分からなくても、やがてそれがひとつのテーマに沿って紡ぎだされているのだと気付かされていきます。

それは意識的でも無意識でも、自分自身がその始まりを決意しているのです。

魂レベルで大切なテーマに取組んでいる証拠なのだと私は思います。

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

霊性開花 | コメント:2 | トラックバック:0 |

風立ちぬ

私たちは皆、具現化の魔法使い。
夢の世界で描いたものをカタチにして行く。
キーワードは「美しい」と感じること。
そこに具現化の技術が集約されている。
その技術は時として国をあげて取り組む必要があるかもしれない。
そしてその理由は戦うためかもしれない。
けれど、志高く、その上を見上げている者には、その力は降りて来る。

飛行機は美しい。
飛行機は夢。
その美しい夢はやがて国を越え、更なる進歩を遂げ、いつか宇宙へ向かうだろう。

宇宙は人類共通の夢だ。
私たちを永きに渡る重力から解放してくれる。
私たちの居た星を見下ろすことができる。
歴史を振り返ることができる。

人間はそこに到達するまでに戦い続けた。
自身と戦い、人と戦い、国と戦い、世界と戦った。
力が大きければ大きいほど波紋も大きいのだ。
具現化の魔法は力そのものだから。
美しい光そのものだから。
ダウンロードした時に、この世界で一度ネガティブな現れ方をするかもしれないけれど、それは人間が力の使い方を学ぶためのプロセスだ。

いつかその力の本質を知り、コントロールし、もとの光に戻す日が来る。
愛に満ちた喜びあふれる姿に進化を遂げた時、それは真に人の技術になる。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・

宮崎駿の最新作「風立ちぬ」が素晴らしく哲学的です。
とても大きな愛で、時代も国もまるごと抱きしめたような作品でした。
涙があふれました(T_T)

主人公の青年は空に憧れて飛行機の設計士になります。
美しくて、速い飛行機を作ることを夢見ますが、彼の生きた時代には戦争が立ちはだかっていて、飛行機は戦闘機としてしか具現化を許されませんでした。
やがて世界大戦へと突き進んで行く日本。
彼が戦闘機を設計することの意味をどこまで理解して納得していたかは分かりません。
けれども、一途に妻を愛したり、鯖の骨の曲線が美しいと目を輝かせて、飛行機のフォルムに活かしたり…美しいものに対する感性にあふれた人でした。
本当に美しいものを知っている人だからこそ、優れた戦闘機(零戦)を世に生み出すことができたのかもしれません。


力というのは、降ろす役割の人と、それを扱っていく役割の人がいるのだと思いました。
そして力というのは、なにものにも化けるものだとつくずく思います。
それを扱う人間、会社、国、時代によって、ネガティブにも化けるしポジティブにも化けるのです。


彼は降ろす役割にあった人ですが、
こんな時代に生まれてなお、純粋に自分にできることをしたんだと思う。
愛するもののために潔く生きたんだと思う。
葛藤も後悔も全部まるごと輝いている。
今の日本を支えた、大切な一員なんだわ。

私も、「生きねば」と思いました。

どうしてもこの感動を書き残しておきたくて、今日はちょっと脱線でした(^O^)

そうそう、全編を通して
「志同じくする者は夢で繋がっていて、そこで描いたものや、決めたことはかなりの確率で現実となる」
ということが普通に描かれているのですが(私はそう捉えました)この原理はヒプノでも意図的に使ったりする方法です。宮崎駿って本当にスピリチュアルな人ですね。
あんまり説明せずにそれを描くので、説明不足とか言われるんでしょうけど。
「千と千尋の神隠し」あたりから感性で見る作品になっているな〜って思います。

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昔私が描いた千尋の絵


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

感性のままに・・・ | コメント:4 | トラックバック:0 |

3次元SAKIの現状把握・方向転換

そうそう。
なんで半年前に「前言撤回」なんて書いたのかというと、ある事件が起こったからでした。
この事件が今回の大嵐に突入した大きなきっかけ。
今も私の右足にはあの時の傷あとが深く刻まれています(^^;)

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その頃私は仕事が忙しくて毎日必死でした。
特にこの日は重大な役割があって、それは自分にしかできない事だと思っていました。使命感と責任感に突き動かされるようにして朝、家を出たのですが…

いきなりアパートの階段からすっ転んでしまいました!!

足のすねをガガガガンッ!!と何度も打ち付けて雪に顔を突っ込んで着地するというありさま。
骨が折れたかも…!と思うほどの激痛で動けなかったので、ちょうど整形外科に行くところだという絶妙なタイミングの両親をゲットして病院に行きました。

それまでの私なら多少の怪我でも我慢して会社に行ったはずです。
特に今日のように大事な日であれば、私がいなければ皆が困る。だから絶対に何がなんでも出勤しなければと思ったはずです。
けれども今回は違いました。足の痛みが勝ちました。痛過ぎました!!
さすがの私も現状に逆うことはできないと判断し潔く会社を休むことに。
そしたらね、それまで気を引き締めていたんでしょうね。もう行かなくていいんだって思ったら安心したのか、急に心が軽くなっておかしくなって来ました。

おいおい、これは何だい?
あまりにも見事な出来事じゃないの(笑)
何か言いたいんだよね?

こうして私は、会社で重大な役割を果たすはずの日に、心身共に自分の診察をすることになったのです。

病院にいる間、久しぶりにゆっくりとした時間を過ごしていると、意識の視点がどんどん高まっていきます。
そして静かに自分を俯瞰していることに気付きます。


そう、この出来事の意味。
それは“方向転換”なんだわ。

随分な荒技だけど、私はこうしないと地面にへばりついて一本の道しか見えなくなる。
だから無理にでもいったん引き剥がして俯瞰させないと今自分が人生の岐路に立っていることも、進む道を選択できることにも気が付かない。

今会社は大変なときなの!
・・・って思い込んでいるけれど、これまでもそしてこれからもこの会社は大変なんです。多分。
そして大変な状況に置かれているのは…もしかしたら私だけかもしれません。
私が食い止めようとするから、もしくは全部受け止めようとするからいつまでもこのポジションから抜けられないのかもしれません。

結局自ら必要なピースにハマっている。


もし、君に目指すものがあってそれが会社の重要なピースであり続けることでは無いのだとしたら、意識のベクトルを変えなくてはいけないよ。
現実に翻弄されて、今のように意識さえもが呑まれてしまうのであれば、これ以降現実はそちらへ向かって走り出す。
君の行きたい未来はどっちだい?


そう、問われていたんです。

猫じゃらしに夢中になっている子猫のように、与えられたものを鵜呑みにしていた私。
息切れしても、疲れ果ててもそこから抜けられなかった私。
このままじゃいけない!!私がやりたいことはそれじゃないの!!
そんな深いところからの自分の訴えに、首根っこをつまんで持ち上げてくれた誰かがいたのでしょう。

そうです。
無理難題の現実に対応するのではなくて、
私が希望する現実を選ばなくちゃ何も始まらないのです。


本当にハッ!!として「前言撤回」を心に誓ったのであります。

テーマ:モノの見方、考え方。 - ジャンル:心と身体

回想録(2013年1月〜6月) | コメント:0 | トラックバック:0 |

Winner!

こんにちは!

わー・・・

もう半年も経っているなんて。
文章、めっちゃ途中で途切れてますね。

半年前に下の記事を書いた直後から大嵐に見舞われてしまいました。
かなり激しい嵐だったので、全力でことに当たらなければならず、ブログを書ける状態じゃなくなってしまったのです。

今回は特に、本当にしんどかったです。
日常は仕事とセッションとで忙しい日々。
心の中では自分に仕掛けられた暗示と繰り返されるプログラムとの戦いの日々でした。
自分が精神異常者なんじゃないかと思うような体験をしたり、年齢退行し過ぎて時間の湾曲が半端なく、実年齢を再認識したとき(現実に帰ってきた時)に仰天したりしました。時の残酷さを知って、私はこの歳までいったい何をやってたの!と本気で嘆いたりして・・・浦島太郎になった気分でした。

まあ、本当にいろいろあったのですが今こうして冷静に語れているのできっと2013年の私にちゃんとセンタリングできているはずです。

やっぱりあれですね、私がやってることって「私だから」なのかもしれないけれど、どうしても深くて重くなってしまいます・・・きっとこの領域を全部知りたいと願った私自身が選んだ体験なのでしょうけれど・・・時に混乱してしばらく自分で味わってからじゃないと客観的に伝えることが難しいです。

はは…

でもね、つい最近です。
どっかてっぺんの方から「ウィナー!」という声が聞こえたのは。
本当に久しぶりに楽しくて、優しくて、暖かいエネルギーに包まれながらやっと「勝った…終わった!」って思う瞬間があったのです。

なんとか今回の大嵐はクリアしたようです。
今は自分によく頑張った!!エライぞ!!って言ってあげたいです。
自惚れと言われおうがね!!

だって本当に大変だったんだもの( ; ; )

だからやっと振り返ってみようかなと思っているところで、
今日この文章を書いています。


テーマ:心、意識、魂、生命、人間の可能性 - ジャンル:心と身体

日常のできごと | コメント:0 | トラックバック:0 |
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